2026/02/18 01:09

こんばんは。現在開催中の受注会、連日ご盛況いただきましてありがとうございます。受注会のことについてブログを書こうと思っていたのですが、今日は想いブログです。今日はと言って、もうすでに日が回っていますが、、、笑

今日は、初めて受注会に参加するA君が来ました。数ヶ月前に初めてお店に遊びにきてくれて、色々と話す中で受注会のことを伝えると是非行きたいと。年始の初売りにも来てくれて、その際は友達B君も連れてきてくれました。2人ともバイクに乗っていることもあり、話は盛り上がり、それじゃあまた来月の受注会でね〜。という流れでの本日でした。てっきり一緒に来店するものだと思い、待っているとA君が1人でやってきました。遅れてくるのかな?なんて思いながら声をかけると、A君から「先日一緒に来てたBを覚えてますか?」と。「そりゃ勿論!」と答えると、「B死んだんですよ。事故で」とポツリ。時間が止まる感覚とはこの事だと。少しの沈黙の後、「バイク事故で?」と返す。「いえ、スノボーで頭を強く打って。」つい1ヶ月前に初めましてだった、今後もっと仲良くなれたかもしれないB君。そのB君はもうこの世にいない。家族でもなければ、とても交友が深かったわけでもない。それなのに、一度会って話をして笑顔を見たことで、自分の心のピースが抜け落ちたような感覚になった。それと同時に、人は死ぬ。意外なんて無くすぐ死ぬ。急に目の前からいなくなる。なんて俯瞰の自分もそこにいた。"死"というのはセンシティブでもなんでもなく、食べる。寝る。と同じような事なんだと思う。ただ一度切りの事象(こと)であるだけで。正直、とても悲しい気持ちといえば嘘になる。でも"今を生きる"とよく口にする僕にとって無視できない出来事であることは間違いない。


"あたりまえ"ほど幸せな事は無い。そんなこと、有名な本でも、映画でも、音楽でも、擦られに擦られてきている言葉だ。じゃあ、自分にとっての"あたりまえ"とは。

毎日の愛犬の散歩。
バイクでの通勤。
orioに居ること。
家族との時間。
服で世界を変えられると信じていること。

そう思えたのは、今もこうして生きられているからである。そして、それが"あたりまえ"になっているのは、意思に沿って行動をしてきた自分の成果である。つまり明日とは過去の自分の通知表なんだと思う。お金がなくても、大抵のことは行動力でカバーできる。会いたい人には会いに行けばいい。行きたい場所には行けばいい。それにブレーキをかけているうちは、通知表の評価は上がらない。

僕は、神戸を拠点に"服"と"バイク"を通してあなたの世界を変えたい。そんな"あたりまえ"を築く為に"今を生きる"